「富士見L文庫×カクヨム 美味しい話&恋の話」短編小説コンテストにて、
『レシピのないカレーライス』が受賞作品として選ばれました!
12月15日発売予定『飯テロ 真夜中に読めない20人の美味しい物語』に収録されます。
特集ページは こちら

2013年04月18日

違和感の正体

堂々巡りのように考えていたんですが、段々と訳が分からなくなってきたのでこの辺で考察としてまとめておこうと思いました。
自分で自分の考えが見えなくなってくるからこそのまとめです。
今日の記事は鬱々として人に不快感を与える事も予想されますので、嫌な予感がした方はブラウザバックをお願い致します。



まぁ話題は言わずもがな、就活のこと。
就職活動をして、内定を貰って、正社員として入社し、安定した収入を得て生活していくのが「普通」であって「常識」であって、「当たり前」のことです。
その「当たり前」が出来なければ「出来損ない」の「失敗作」として扱われます。
失敗は許されない。許さない。それが「常識」です。
金がなければ生きていけない。
だから、労働は必須なのだということは知ってます。理解してます。
大学まで行かせて貰ってるんだから、きちんと正社員になる為に真面目に就職活動をしなければならないということは、頭では分かっているんです。
だけど私は就活に対して違和感しかありません。
たとえば、靴を左右逆にして走っている感じ。
安定した生活を手に入れる為なら、それくらい出来て当然なんだろうと思います。
どれだけ私が違和感を感じようと、それが世の常、常識、普通に出来て当然のことだから。
しかしながら「常識的」に行うべき就活に失敗して自殺者が出ているというのも現状。
私以上に真面目に取り組んだ学生が、失敗して、自殺してるんですよ?

じゃあお前は一体どうしたいのか。
大学に行かせてもらっておいて今後何がしたいというのか。
それが分からないからこれだけ悩んでいるわけですが、フリーターになろうという気力くらいはあります。
つまり、自分の時間を確実に確保したいわけです。
そうやって創作に費やす時間を作りたいわけです。
あわよくば、なんて考えも持ってます。
まぁこう言うと、「学生気分が抜けてない」とか「現実舐めんな」とか言われるんでしょうけれども。
そもそも、就活に対して疑問を持ってしまった時点で私は終わっているんだと思います。
真っ当な大学生として、終わっているんだと思います。
そもそも「当たり前」のように私も大学進学を選んだわけですが、それは自分の意思と合致したからこその選択であって、もし興味をひく学科がひとつもなければ、大学へは行ってなかったかもしれません。

どうしたものか、分からなくなってきたから学校のカウンセラーとかに相談しに行こうとかも考えたんですけれど、赤の他人に悩みを言うのは何だか憚られるし、そもそも私がそういう自分の問題を話そうとすると確実に泣いてしまうようなので、行きたくないんですよね。
友達だろうと同様。人様の前で無様に泣きたくない。
そもそも私は「真面目に就活すべきだよ」と説得されたいわけではないのです。
他人から後押しされたいわけでもないです。
自分のことを真面目に話すのが苦手だから相談は嫌なんだけれど、ひとつ別の視点が欲しいなぁくらいの感覚です。
心配はされたくない。だから平常運転を装うしかない。

さて、ここまでいろいろと書いてきてみましたが、結局のところネックになっているのは「常識」「当たり前」の暴力的とすら言える世間一般の価値観です。
逆行するつもりはないんだけど、結果的にそうなるから動きづらい。
それに逆らう勇気がない自分が情けないとも言えますが。
ここまで親に投資してもらっておいて、結果がフリーターでは親不孝っていう一般論もあるだろうし。
何より大卒で即決フリーターは「逃げ」みたいに捉えられるんじゃないかと。
そうやって、私の嫌悪する「常識」を一番気にしているのは私自身なわけです。
お前だから大人しく就活しろよ、と結論がつきそうです。
感覚を麻痺させて、機械の如く動けと。
結局、働かなければ生きてはいけないんですし。
「社会的に生きる」ことをメインとするか、「創作活動をメインに生きる」かの違いです。

はてさてどうしたものかなぁと、まだ思考は巡るのですが、とりあえず今考えてることの7割くらいは文章化出来たので満足しました。
終わり。
ラベル:しゅーかつ
posted by 爽川みつく at 19:05| Comment(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月31日

諦めちゃえれば一番楽なのにね

昨日の記事で書いた、会話の引き出しがないという話。
ここから派生してちょっと考えた事でもぽつぽつと。
久々に考察ネタ。


まず、どうして会話の引き出しがないのかと言う事。
まぁ元より会話のジャンルが少ないからというのもあるんですけれど、最近はその引き出しすら開かないというのがもっとはっきりとした現状かもしれないです。
つまり、そもそも「話したい」と思う話題がないんだね。
そりゃあ「話したい」と思う内容がないんだから、黙るのは自然の摂理というもの。
それでも間を保つ為の「今日寒いね」とか「就活の準備とかしてる?」なんて中身のない会話くらいは出来ます。まだ。

それでは何故、引き出しが開かなくなったのか。
それは恐らく、自分の中で話題が完結しているからなんじゃないかと。
ここ最近考えてる事なんてもっぱら小説のプロット構成とネタ作りくらいで、それらが自己完結を求められる内容だからというのもあるとは思いますが。
話題が自分の中で完結している以上、わざわざ他人に話す必要もないですし。
小説のネタなら、やっぱり小説というかたちになってから読んでもらいたいですし。
だから、それこそ『しろくろ』の感想くれるとか言ったらすごい勢いで食いつくんだと思います。
現金な考えだし、自己満足で、自己中心的ですね。
それが本当に嫌になる。相手の話も聞きたいはずなのに。どういうことだ。

あとは何だろう、根本的な話題の方向性の不一致とかですかね。
それと、「ああこれ本当に上辺だけの中身のない会話だな」と自覚した瞬間から萎えたりとかね。
前者に関しては私の考えを変えない限りは話のベクトルがそっちに向かないし、後者は私だってやってる事だからすごく自己嫌悪に陥る会話になるかな。
あんまりこの辺言及していくとただの愚痴なので割愛しますが、しかしどちらも私が考えを変えてしまえば良い話ではある。
どうしたって価値観の違いというものは存在しているのだから、そこら辺は上手い事合わせていくしかないですもん。

こんな感じで、話はしたいけど話したいと思う内容がないというのが現状。
愚痴ってないで現状打破すれば良いだけの話。
ただ勇気が足りないだけの話。
だからとりあえず笑って誤魔化すという自己嫌悪に繋がる方法をとってループ、とかね。
今日もぎりぎりのところで日付偽装になってしまいましたとさ。
posted by 爽川みつく at 23:59| Comment(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月12日

でもだからきっと楽しいと言えるんだ

昨日の記事でもちょこっと書いたと思いますが、今日は有名作家さん――あさのあつこさんの講演会でした!
「それでは、あさのさんが来ますので、拍手でお迎えください」とかあると思ってたのに、まさかのナチュラル入場。
さらに、対談形式での講演会だったんですが、その対談相手の先生よりも早い到着でした。
そんなんで大丈夫か? とも思いましたが、まぁ対談は始まっていきます。

全体として、あさのさんは面白い方だという印象を受けました。
失礼な話、あさのさんの作品はひとつしか読んでいないまま今回の講演会に出席したんですけれど(しかも講演会の主題は、私の読んでいない作品)、それでも、執筆活動におけるあれやこれやを聞けて良かったです。
とりあえず今月〆切の原稿頑張ってください(笑)

んで。
今日の記事カテゴリは一応「考察」として、まぁせっかく作家さんの話を聞く事が出来たんですから、いろいろと考えてみようと、今日はそんな感じです。
長めの記事を書きたいとか思ってますが、しかし明日も朝が早く遅刻は出来ないので(今朝は余裕で30分ちょい遅刻)、さくっとまとめて書いていこうかと。

所詮私の記憶力なので、あさのさんの発言に関しては既に不鮮明です。
メモでもとりながら聴いていればよかったんですけれど…。何故メモしてなかったし私\(^o^)/
と言う訳で、ちょいちょい違ってたらすみません。
それを前提に、以下繰り広げられる爽川のgdgd考察をお読みください。

講演会で、あさのさん自身も仰っていたし、質問コーナーでも似たような答えを出されていたんですけれど。
作品を描く上での軸、とでも言うんですか。
「キャラクター」「ストーリー」「テーマ」など、小説を書く上で一番重んじているものは何か、という話がありまして。
そこであさのさんは、「キャラクター」を軸に物語を書いていると言っていました。
だから、作ったキャラクターを軸に、周りの人間が作られ、物語が出来ていく。と(覚え違いだったらすみません)。

小説っていうのは人によって本当作り方が違うと、私自身思っています。
プロットを綿密に書いてから作品に取り掛かる人、感覚だけで書いていく人などなど、方法がそれぞれ逆ベクトルを進んでいるような気さえします。
だからこそ、小説というひとつの作品を書くにしても、どれを重んじるのかは人によって違ってくる訳で。
あさのさんは「キャラクター」を軸に構成していて、だから「テーマ」については考えた事がないと仰っていました(と思う)。
これは、私にとってある意味新鮮でした。
テーマというものがなければ、小説は意味がないんじゃないかと思っていたからです。
「伝えたいもの」があるからこそ、小説はあるんじゃないだろうか。
メッセージがあるからこそ、心に響くものがあるんじゃないだろうか。
だから私にとってそれは新鮮で、そして納得というかなんというか、「あぁ、そういうのって良いんだ」と思いました。

私も基本は「キャラクター」から小説を組みたてて行きます。
登場人物をある程度作りつつ、この登場人物が一番動ける世界はどんな世界か、というものを考えていきます。
ストーリーを練る上で、何もテーマらしきものがないとgdgdとした小説になってしまうのではないか、という危惧があります。
まぁそれは、プロットを書いてもその通りに書かない私だからそう思うのだと思いますけれど。
だからテーマというのは大切なものだと思っていたんですが、しかし今回の講演会を聴いて、そう無理矢理に理由付けしなくても良いんだなぁと思いました。
要は、自分の書きたいものを書きたいように書く、とでも言いますか。ちょっと乱暴な言い方かもしれませんけれど。
でもそれが、楽しく創作活動を続けられる理由なのかな、とも思いました。
楽しくなきゃ、やってらんないですもんね。

でもって、自分の分からないキャラクターを描く事の楽しさ、なんていう事についてもあさのさんは話していました。
「分からないから、書いて理解しようとする」とか「理解出来てるなら書こうとは思わない」とか。
キャラクターの個性のなさに定評のある爽川なので、この辺じっくり考えていきたいです。


………とまぁ、本当はもっといろいろ書こうと思ってたんですけれど、時間的にもアレだし眠気も酷いのにまだお風呂に入っていないという危機的状況なので、ここら辺で切る事にします。
さっき友達から電話がきて、明日メールで起こしてくれるというので一気に心強くなりました。
これで勝つる。
posted by 爽川みつく at 23:06| Comment(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月23日

英語のテストは何とかなったけど、でも今それどころじゃない

久しぶりに考察ネタですよー、と言ったもののどれくらい久しぶりなのか過去ログ漁ってみたところ、3月以来なので実に4カ月ぶりです。
そんなに久しぶりでもありませんでしたね。


なんかいつぞやと同じような状況になって来た気がして仕方がありません。
そういうのマジで駄目だから私。どう本気出したところでそんなの解答でませんから。
何と言いますか、逆に私は人間としての何かが欠如しているんでしょうかね。
人間に対して積極的に関心を抱かないから駄目なんでしょうよきっと。
人と話すのは楽しいし、いろいろと発見があって面白いんですけれど、でも基本的にどこか遠くに自分がいるとでも言いますか。
自分の殻に引きこもっているとは言いませんが、それでもどこか自分だけ切り離している感じ。
レジュメを作っている時も思いましたが、本当私には「自分から考えを発する」という事が出来ないんです。
自分の考えは、まぁ持つには持ちますが、でも言葉にする程でも無いというか、ニュアンスでこんな感じとしか思わない訳で。
自分で自分の事分かっていないんですかね。どこか客観的すぎるんだと思います。
だから他人の感情が読めないんでしょうけれど。
というかそもそも、境界線が分かりません。
何が一体どうしたらその一線を越えられるんでしょうか。
人間に対してそういう感情を持たないからよく分かりません。
そして自分がどうしたいのかも分かりません。
まぁ今回のはフラグが立ったのか…?程度だから、いつぞやみたいなクライマックスな状況じゃあないんですけれど。
ていうかたぶん私の盛大な勘違いであって欲しいんですが。
しかしいつぞやと状況が激しく似ているんだぜ何このクライマックス。
えーと、そうそう境界線。
どこから変わるんでしょうね、そういうのって。
仲が良いとかじゃないんでしょう?
何がどう違うんですかもう。
よく分からない。結論が出ない。何よりめんどくさい←

ここで必殺技「思考停止」を発動します。
停止!
トトロ観ましょうトトロ!
posted by 爽川みつく at 21:09| Comment(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月02日

親友とは

家に引きこもって絵ばかり書いてgdgdしていてネタが全くないので、今日は久しぶりに考察ネタですよっと。


大学に行くと私はマジで友達ゼロの状態からスタートするので、友達という関係性に、今は結構真面目に考えているんです。
というかね、今日ベネッセから届いた「卒業おめでとう! ちなみに大学生になるとこんな感じだよ」的な手紙が届いたんですよ。
そこに親友とは何か、みたいな事が書かれてあったんです。
そして親友とは生涯大切なものになるんですよ、と。

で、タイトルにもあるように、今回のお題は『親友とは』。
親友とは、極めて仲の良い人間の事を指します。
親友が出来るタイミングは人それぞれで、小学校からの仲というのがあれば、高校に入ってから、というのもあります。

そこで私は本気出して考えてみた。
私に親友はいるのか。
寂しい事してるとか言っちゃ駄目だよ!
友達はいるんだ、問題は親友がいるか否かなんだ!


保育園から高校まで、ずっと学校が一緒という人はいます。
田舎ですから高校なんて選択肢があまりない訳で、当然ずっと一緒の人が多くなる訳ですよ。
中学校で部活が一緒だった人、クラスが一緒だった人、高校までずっと学校が一緒の人。
一緒の定義にもそれぞれあります。

でも仲が良いかと訊かれたら、返事は曖昧になります。
私は対人間関係においては狭く浅くをモットーにしていますから、仲が良い人とはすげぇ仲良いけど、あまり話さない人に対しては距離がすごく開きます。
一緒だった人の中で私と仲が良いと言える人って、だからあまりいないんですよね。
今では話すのさえ億劫な人さえいます。

では、高校ではどうでしょうか。
高校からの付き合いの人。
それだって結構います。
高校で知り合った人というのは、最大で3年間の付き合いしかないから、中学までの友達とはまた一線が違います。
だけど、逆を言えば3年間の付き合いだからこそ、というものもあるんです。
良い意味でも悪い意味でも、中学生という黒歴史を知らない高校の友達は、何かにつけて話しやすいんですよね。
ずっと一緒だった人は、それはそれで話しやすいんですが、それとはまた違った話し易さ。

そして何より、高校だと部活仲間としかほとんど喋ってないってのは大きい。
そりゃあ体育祭とか球技大会とか、何かしらクラスで動くイベントがあればクラスメイトととも話しますけど、基本は部活仲間オンリーです。
加えて、私が参加している部活は演劇、文芸、漫研。
キャラの濃い人間が盛りだくさんな訳ですよ。
もうそれだけで楽しいんだ。
しかも兼部をしてるから、みんな総じて仲が良い。
ジャンルの壁はままあるものの、本当仲が良いです。

だから現時点での私の結論は、みんなが親友、です。
みんな仲が良いんだから、みんな親友で良いじゃん? みたいな。
長々と語っておいてあれですが、でもそれで良いんじゃないですか。


しかしあれだよね、これだけ私が言っておいて、実はみんなそんな風に思ってなかったら切ないよね!
私は人のその時の顔色読むのは得意だけど(中学時代で培われた力)、相手が私をどう思っているかは全く分からないんだよね!
posted by 爽川みつく at 22:38| Comment(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月28日

ちょっとした精神論

今年のまとめは、まぁまたあとでするんですが、ちょっとその前にぐるぐると考えてる事を文章化しておこうかな、と。
いやぁ、今年の年末年始は部活もなにも無いので、自分一人の時間が多くなりまして、年賀状の作成に時間を費やさなきゃいけないという事は分かっているんですが、でもまぁ話し相手もいない事ですし。
いや、ここにこれから書く事なんて、普通の話の中で出ないでしょうしね。
だっだらこちらで消化しましょうぜって感じで。
半ば鬱…になるのかな。
まぁただの自己満足。
しかし敢えて言っておこう。
このブログ自体、私の自己満足以外のなにものでもない、と。



人は3年で変わる、と言います。
3年経てば別人だ、とも。
その定義に、私は肯定します。
だって3年という時間は、人間の中身を変えるには十分なんですから。

実際、私は(たぶん)3年単位で変わっていってます。
小学時代は……まぁ、基本人格の形成期だとしましょうか。
ベースのベース。
本当に基本的な考え方とか、譲れない価値観とか。
他人とのコミュニケーションの方法を探りながら、自分のベースを作っていく期間だと思います。

で、中学時代。
ここは上下関係の極みですよね。
年上に対する態度とか、他人とのコミュニケーションの難易度が上がったりとかして、結構鬱になったりします。
だから小学校時代に形成されつつあった『私』という人格が、ここで一度形を崩します。
小学校のような性格はここじゃ通用しない、と気付くんです。
何でもお気楽に考えてちゃ駄目だ。
人の裏側はこんなにも醜いんだ。
下手したら誰も信じられなくなりそうな状態に陥ったりもしましたかね。

まぁこれは私が特殊な例だとしましょう。
いくら中学生の上下関係がキツいものだと言えども、私はその中でもとびきりヤバいところに3年間いた訳ですから。
周りは小学生の頃からの知り合いで、私だけが新参者という状況。
当然周りは小学生の頃からバレーをしているのですから、技術面でも私は置いてけぼりです。
ルールもよく分からない。
基本が分からない。
誰も教えてくれない。
だけど選んだのは私自身だ。
そういう状況にいれば、誰だって否応なしに変わります。
周りが変わらないなら自分を変えれば良いんです。

そうして小学生までの『私』とは正反対の『私』が出来上がります。
意見をはっきり言わず周りに合わせて笑っている、中立の立場を私は得ました。
その中で私は、なんとか3年間を終わらせる事が出来たのです。


そして高校時代。
即ち今です。
高校では演劇部、文芸部、そして漫研に入部しました。
文芸と漫研は、もとより私の性格に合っています。
中学生の時あたりから創作活動はしてましたからね。

ただイレギュラーがひとつ。
演劇部です。
私は入学当初、全く演劇部に入る気はありませんでした。
言ってしまえば、ただその場の流れでなんとなくです。
まぁこうして私の高校生活最大の鬱期が到来する訳ですが、原因はある程度絞れます。

自分の意見を言う。
これは私にとって本当に苦手な事です。
今でも無理。
いきなり「〜〜で、みつくはどう思う?」と訊かれると、言葉がどうしても詰まります。

だけどそんな事も言ってられません。
そういう環境を選んだのは、最終的に私なんですから。
だからやはり、ここで少し変わっていきます。
中学生の時ほどではありませんが、変わらなきゃやってられませんでした。

そうして今に至ります。
中学の時とは、やはり違う私がここにいます。
どう変わったかというのは、また違う私になってみないと分かりませんが。
とにかく楽観主義の私が出来上がりました。
その分、一度鬱スイッチ入ると手がつけられなくなりますが。


3年間で人は変わります。
1年目は、その環境に慣れていき、自分の行きやすいポジションを見極めます。
2年目は、実際にそのポジションで生きてみます。
3年目は、少し気が楽になってくるので、応用を利かせていけます。
そんな感じ。
そうして次の年になると、また環境が変わってくるんですよね。
ずっとこの繰り返しです。


まぁこれは、あくまで爽川みつくという人間を見ての精神論です。
しっかりと自分を持ってる人になんて通用しません。
意志薄弱、優柔不断、他人優先の爽川みつくだからこその精神論です。

そりゃあね、きちんと自分を持っていて、意見をずばずば言えれば素晴らしいと思いますよ。
自分を貫き通す。
かっこいいじゃないですか。
良いと思います。
だけどそれは完全な別人です。
ベースはどこにもありません。
ベースがあるからこその応用は出来ても、ベースが違うのに応用なんて出来る訳がありません。




……オチなんてないよ!
だってこれは精神論で、終わりなんてないんです。
でもまぁ、いろいろと吐き出せてすっきりはしました。

この後は、今年のまとめ記事を更新(予定)!
posted by 爽川みつく at 13:50| Comment(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月21日

小説のあれやこれやについての考察

があぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああ小説書きたい!!!
小説が書きたいっ!!
小 説 が 書 き た い 。

思ってもみませんでした。
そうか、私は文芸部という存在に生かされていたんですね。
文芸部の活動によって2,3カ月に一度、何篇か小説が書けるというのは幸せな事だったんですね。
たとえ文芸部の雑務をほとんど引き受けていたとしても、それは今にしてみればどうってことない事だったんですね。

その時は気付きもしませんでした。
ただその幸せの中で、私は自分の語彙の無さに苦しむだけでした。
学園祭が終わり、受験に向かって本気で勉強をし始めると、本当に私の中での小説を書くという事の大切さに気付かされます。

小説を書く。
それは私の場合、ストレスが溜まれば溜まる程(短編に関してだけ言えば)どんどんと思いつきます。
そいういう状況の場合、大体は血みどろになってしまうのがアレなんですが、まぁそれはそれ。
それを文字に表現して、打鍵して、活字にして、ストレスを発散していくんです。
どこまで行っても自己満足の世界で、ストレスが溜まりすぎると誰にも何も伝わらない小説が出来上がってしまうんですが。

小説が書きたい。
なんだかんだで中2辺りから小説書いてますから、それがストレス発散源になりつつあるようです。
今のストレスは言わずもがな受験勉強ですね。
英語なんて訳のわからないものとにらめっこしすぎて頭がパーンってなってます。

だから、と等号で繋がる訳ではないんですが、今、完全オフで長編を書いています。
それは高校卒業までに仕上げて友達に読んでもらいたいんですが(そもそもそのためだけに書いている)、長編って本当にスタミナ使うんですよね。
キャラの性格、経歴、思考。
そして物語を進めていく上での伏線、会話、仕草。
どうやってこのキャラを動かそうか。
どうしたらこのキャラは動くだろうか。
考えるのはすごく楽しいです。
そのスタミナだったらきっと勉強よりはあると思うんだ。

でもね、他の長編小説のネタも上がってきちゃってるんですよ。
キャラの経歴から何やら、結構出来あがってきちゃってるんですよ。
まだ進路が決まっていないというのに。

…はい、これが今までの長ったらしい文章の結論になります。
長編を考えてると、どうしても短編がぽんぽんと浮かんできてしまうんです。
でもそんな短編書いたって、誰にも伝わらないんですよ。
オフの友達に伝わらないならオンに頼ればいいじゃない。
そう思っても、私は既にサイトを消し去りました。
サイトを復活させる気は、今はありません(そんな事し始めたら最後、本当に勉強しなさそうだから)。

小説が書きたい。
長編小説が書きたくて、そう思うと短編が思いつく。
でも誰にも伝わらない自己満足になる。
そもそも今の私にそんな時間はない。
このループです。
ああもうどうしよう。
答えは出ません。
どうしようもないんです。
それこそ、小説を書く事で生きていければ解決しそうなものですが、そんなのは今言ってる場合じゃありません。
夢、ではあるけれど。
受験が終わって一段落したら本腰入れて書いてみようかしら。
だとしたら、今は勉強か。
posted by 爽川みつく at 23:28| Comment(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月18日

日記についての考察

久しぶりの考察記事です。
でもまぁ鬱真っ盛りの時期は越えてますんで、基本鬱にはならないと思います。
珍しく、自分の考えをまとめようとしているだけですので。
まぁ、くだらない事しか書かない、ただの自己満足です。


このブログを始めて2年ちょいくらい経ちます。
私は暇になると結構自分の過去記事を見直してたりしているのですが、なんかそれって面白いんですよね。
2年前の自分と今の私を比べると、まず文章が違います。
でも考えてる事は同じ。
そのとき私がどんな影響をうけていたのかってのが如実に現れてるんです。

でも去年の今頃なんかは鬱スイッチが入りやすくて、時には涙が止まらなくて部屋で一人泣いてたり、自己嫌悪に陥ったり、人間を過剰に嫌ったり。
死んでしまおうかと思った時期もあります。
でも今の私ってのはなんかもう楽観主義の塊みたいな存在になってる訳で。
人は変わる。
その意味ってのが分かる気がします。
同じ目で、同じ耳で、同じ脳で、全部が全部同じ私が考えることなのに、そのときと物事の捉え方が食い違ったりしている。
でもそれを、今の私は嬉しいと思います。
昔の私なら嫌がったかもしれないし、鬱になっていたかもしれません。
この違いってのが、本当におもしろいんです。

去年の年末に、1年のまとめ記事を書きましたが、あれ、本当に楽しかった。
鬱真っ盛りの4月から7月あたりまでは記事の内容が異様に暗いですが、何かを期に今の私と同じ思考回路になってきてます。
文章にされるまでに私が何を考えてたかというのが分かる分、ああ大変だったんだなー、とか思える訳です。
でも案外忘れてる事の方が多くて、「あれ、こんな事あったっけ?」みたいな記事を見つけたりもします。
私もいわゆる読者というか、第三者視線で自分を見ているという事になりますね。

変わっていけるっていうのは嬉しい事です。
去年と今との違い。
見つけるとなんだかくすぐったくもなります。

さぁ、来年の私。
きっと高校を無事に卒業して、右手に卒業証書を手にして、左手に大学の合格通知を手にして、何を思う?
きっと春休みは暇で暇で仕方なくて、きっと過去記事を見直したりしているんだろう?
その時、私はこの私をどう思うのか。
馬鹿だと思うかもしれないし、痛いことしてんなー、と思うかもしれない。
まぁ実際これを書いている今現在、若干ながらも痛いことしてんなーとは思うけど。


なんていうの。
未来の自分に向けたメッセージってのをしてみたかっただけです。
もしかしたら来年の私がこれに答えるかもしれません。
忘れてるかもしれません。

ただそれだけです。
posted by 爽川みつく at 18:56| Comment(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月14日

言葉についての考察

カテゴリ別に見ると考察の異様に少ないと唐突に思いまして、たまには無意味に考察してみようかな。
とおもいました。
さぁレッツ鬱。

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言葉ってとっても大事な物だと思う。
相手に意志を伝えるには最終的に言葉が必要なんだから。

でも言葉は伝われば良いって物でもない。
自分にとってなんでもない言葉が相手にとって大事だったりするから人は言葉を選ぶ。
言葉が人を傷つけるのは日常。
でもできるだけ避けたいと思う。

言葉が人を傷つける事ないなんてありえない。
今までに発した言葉を忘れないなんて無理だ。

これが絶対的な矛盾。
これを正すなんて無理なんです。

肯定も否定も喜びも悲しみも全部、言葉が表してくれる。
でもだからといってそれをそのまま言っても意味はあるのかな、と考えてちゃうときがあったりして。
無意識下の言葉は嫌だけど意識下の言葉はもっと嫌で。

みんな平等に傷ついているんだったら少しずつでも軽減できる言葉があればいい。
なんだろうって考えてみた。

難しい言葉で長ったらしくいうより、簡単な言葉で短く。

「ごめんね」
「ありがとう」

posted by 爽川みつく at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月10日

ここから向こう

考え事していたら寝れなくなってしまったが故の更新です。
情緒不安定です。


-----------
未来の自分がどんな風に生きているのか、全くイメージできないのが怖くなった。
どんどんと「大人」の存在が大きくなってくる。
自分はそこにきちんと立っていられない気がした。
今が楽しければ良いなんてのは言い訳で、きちんとこれからも考えなきゃいけないってわかっている。
でもきちんとってなんだろう。
安定した収入を得る事ができる事?
周りと似たりよったりの職につく事?
わからないのがとても気持ちが悪くて。
大学に進めば何かしら見えるのかもしれないと思っていたのに、その道は半分以上閉ざされている。
どうして無理にでも可能性を消そうとするのだろう。
学力にはどうあがいたって限界はあるのに。
そんな事に時間を裂くくらいなら、もっと別の事をしてるのに。
今やりたい事が、これからの目標になるのかはがわからない。
今の目標は所詮自己満足になるのかもしれない。
そこに人生をおくにはあまりに不安定な気がして怖くなる。
他人に夢を話せなくなる。
あまりに未来は重すぎてわからない事が怖くてこんな世界消えてしまえとしか思えない自分に嫌気がさした。
posted by 爽川みつく at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月17日

明日への考察

勉強と小説、どちらが大切か。
それは勿論、小説。
楽しいし、勉強よりも断然集中できる。

じゃあ勉強と小説、どっちが大事か。
そう言われたら私はきっと勉強と答える。

いつか小説を投稿してみたいなんて考えるけど、現実問題、テストばかりの学校がある以上、それは無理にも等しくて、なによりも成績が下がってしまう。
大学に行かないと就職は難しいらしいし、せめて大学まで行きたいと思う。
そうすると当然、創作に費やす時間が減っていく。

毎日は暇なふりして忙しい。
予習に消えていく自分の時間。
テレビを見て無駄に時間を浪費する自分。

もっと時間があればいいなんて我儘は誰でも言う。
自分だけじゃない。

当たり前にみんなが悩みそうな事を当たり前に悩んでいって、黒いモヤみたいなものが生まれる。
そんな当たり前の自分もどうにも嫌い。

決まった規則に周囲との協調を強いられる。
普通じゃないと浮く、とか。奇妙な疎外感。
自分の価値観と食い違う現実。


いっそのこと、目の前の現実全てを破壊しつくして「お前らなんか嫌いだ!」って言ってどこかずっと遠くに行ってみたい。


以上、テスト前の現実逃避。
携帯からだと文字数これで限界。
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2007年05月02日

遠足中止、延期もなし

ウオ○ク行ったらDグレあったのに帯が切れてて買う気が失せました。
明日辺りに買ってきます。


えと、以下愚痴&ネガティヴな言動が多く含まれるので、注意です。


愚痴ワールド
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2007年03月09日

ホムペについての考察。

3日くらい前に、友達からメールが来て、
「HP作ったので見てね」
的な文章がありました。

で、「すっげぇー、どんなサイト作ったんだろー」と思った私は携帯から行ってみたわけです。

したら………。
ちょっと沈黙しか出来ませんでした。

偽名抜きの、ばっちり本名で、クラスの数人の男女の名前があって、日記とかプロフィールとかがあったんです。
プリクラとかも貼り出されてて、「え…さすがにヤバくないか?」と思いました。

アクセス数なんて、私のサイトよりも結構いますよ?
これって、知らない人がきて掲示板に書き込んでたりしたらどうするんだろう…とすごい思いました。

私の携帯はアクセス制限なんてものがつけられて、全部は見てませんが、さすがに危ない気がして仕方がありません。
ホムペのアドレスに担任の名前を使用するあたり、危険です。

いいのかなぁ…。


せめて偽名使おうよ、偽名。
私なんて爽川なんて日本には絶対にありえない苗字使ってるんだから。
posted by 爽川みつく at 14:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月06日

自分についての考察。

長所ってなんだろう。
短所ってなんだろう。
特技ってなんだろう。

自分のいいところなんてそうそう気付けるものじゃないし。
悪い所なんて、面接で下手なマイナスイメージを出さないようなのって思いつかないし。

面接で短所と長所を訊かれたら、本当にどうしよう。
絶対訊かれそうな質問じゃないか。
短所を補えるようなコメントなんて思いつかない。

特技なんてそうそうあるものじゃない。
ピアノとか習ってたら「ピアノが得意です」って言えるかもしれないけど、生憎ともう辞めちゃってるし。
人から卓越した能力とか持ってないから、どうしようもない。
大体さ、特技ってなんですか。

短所長所特技。
こればかりはどうしようもないんじゃないかな、なんて考える。

自分を見つけるのって、こんなに難しいんだ。
自分で自分がわかってないんだな、って実感した。

推薦入試で受かりたいと思うけど、自分を見つけられないんじゃ、駄目じゃんか。
内定発表日、おじいちゃんは誕生日だってさ。
これはもう、受からなきゃいけない雰囲気じゃん。

ああもう本当にどうすればいいんだろう………。



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……………。
愚痴っぽい上に暗い文章でごめんなさい…。


うぁああ、腹が痛いですよー……。
posted by 爽川みつく at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月18日

推薦についての考察。

推薦を学校長からもらえるっていうのは、今までの行いがいい人に与えられるものなんだと思う。

成績が良かったりとか、当たり前のことが当たり前にできるとか、リーダーシップをとってクラスに貢献したとか。
そんな風に、少なからずとも努力した人がもらえるものじゃないんだろうか。

ワックスで髪を立てて、腰パンして、授業態度が悪くて、私語ばっかりの奴なんかは、本来推薦なんてもらえないはずなんだ。
なのになんで、1週間だけ腰パンしなければ推薦がもらえるんだろう。
おかしいんじゃないか。

1年生からの今までと、たった1週間を一緒にするなんて、酷いと思う。


あんな奴ら、きっとあっさり推薦入試は落ちるに決まってる。
ていうか、落ちてくれ。
それでこそ、頑張ってきた人が報われるんだから。



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友達の家に遊んできました。
久しぶりに友達の家に行くという、懐かしい感に浸ってました。

思えば、小学生の頃から、
遊ぼう!→どこで遊ぶ?→みつくん家!→はあ?!→問答無用!!
みたいな成り行きが出来上がってましたからね。

某アニメみて、某特撮ヒーローものみて、ホットケーキ食べて、寒さに凍えて帰ってきましたよ。
この年になってアニメとか特撮に喜んでるっていう事実が悲しい……。


日本海側の冬って侮れないと、改めて認識しますね、今日この頃は特に。
posted by 爽川みつく at 17:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月10日

自殺についての考察。

自分で自分を殺害する。
自分で自分を終了させる。
自分で自分を世界から離す。
自分で自分を手放す。


言い方はなんでもいい。
ようするに、自殺。

「どうして自殺なんてするのだろう?」
なんて愚問は言わない。
私だって、死にたいと思うときがあるから。


けれど。
自分で自分を殺すという宣言を、文部科学省に送った人たちは。
どういった考えの末、手紙を送ったのか。

自分の自殺宣言の手紙だけではなく、クラスメイトへの手紙、保護者への手紙、先生への手紙、両親への手紙…。

助けて欲しいのだろうか。
自分の存在に気付いて欲しいのか。
全国で行われているいじめに、歯止めをかけようと思ったのだろうか。

自殺を宣言したのは、明日、11月11日。

本当に、自殺してしまうのだろうか。



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うっわー、シリアスみたいな口調…。
暗すぎる……。

でも、自殺はいけないと思いますよ。
人間一人が死んだ時の影響力って、結構強いとおもいますし。
そうじゃなくても、命がもったいないと、思います。



閑話休題。

人間ノックをゲット!
現在半分くらいまで読みました!!

うははー。
posted by 爽川みつく at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 考察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする