本日9月24日、当ブログは10周年を迎えました!!!おめでとう! ありがとう!
ブログ開当時中学3年生の爽川さんは、まさかその先10年も運営を続けるなんて思ってもみませんでした。
10年。その歳月に一番驚かされているのは他でもない私です。
気が付いたら10年も経っていた、という表現が一番しっくりくる感じ。
開設当初から、或いはその前のサイト時代からお付き合いくださっている方々も、ふらっと立ち寄って時折閲覧してくださっている方々も、本当にありがとうございます。
閲覧数は気にせずに日常を垂れ流している当ブログではありますが、さすがに閲覧数0だとここまで続けてはこれなかったと思うので、一重に皆さまのおかげです。
今後も変わらずブログを運営して参りますので、よろしければこれからもお付き合いくださいませ。
……と。
いつもであればテンプレのようにここまで書いて満足していたことでしょう。
というか実際、ここまで書いた時点で既に「もう良いかな」的な感覚にはなっているんですけれども。
でも次の20周年なんてのは確実にないと断言できるので、節目の10周年を徹底的にお祝いしようと思います。
どれだけ意気込んでいるかと言うと、この記事を8月からちまちまと準備を始め、予約投稿までしている程度には意気込んでおります。
ここ最近「作業……作業しなくちゃ……」とうわ言のように言っていたのは、これのことでした。
何故に予約投稿なのかというと、投稿時間を一番最初の記事を投稿した時間と合わせているからですね。
というわけで、
10年分のログの振り返り企画、はっじまっるよー\(^o^)/基本の流れは年末の自爆企画に倣います。
記憶から抜け落ちている事柄も多いであろうこの10年、なにか面白そうなこともあれば良いなあ(願望)
2006年・2006年9月24日そんなわけで、記念すべき初投稿記事。
当時は中学3年生でした。
ここで言うところの「前の日記」とは、当時ブログより先に開設していた個人サイトという名の黒歴史ページにて借りていた掲示板的なやつのことです。10年前の個人サイトの日記でよく見たタイプのやつ。
それがある日、運営が終わるとかなんとかで日記が使えなくなり、友達にいろいろと訊いてまわった結果、ブログというかたちに落ち着いたのでした。
seesaaにした理由はなんだったかが思い出せないのですが、当時検索をかけて一番上にヒットするであろうアメーバにしなかった辺り、当時からして捻くれていたころが窺えます。
・2006年10月9日夢の話。
つたない文章ながら頑張って説明しているけど、わっかりにくいなあ……(遠い目)
でも、この夢のオチの部分は今でもはっきり覚えています。
夢の中だというのに、手の内に落ちてきた生首の質量が妙にリアルだったんですよね。
・2006年10月18日冒頭のものはスルーするものとします。
じゃあ何故ピックアップしたのかって、たぶんこれ、私がサイトを運営していた期間で唯一、コメント付きで拍手してくれた方がいらっしゃったということを書いていたからです。
※説明しよう、拍手機能とは!
正式には「web拍手」と言い、ウェブサイトの管理者に対して匿名で応援の意を示すために開発されたスクリプト、またはサービスの名称。 ウェブサイト管理者がこれを設置すると、ウェブサイト上にボタンが表示される。 閲覧者はこのボタンを通し、「拍手」やメッセージを管理者に送信することができる。(引用:Wikipedia)当時運営していたのはオリジナル小説のサイトだったので、お礼小説とかも書いておりました。
懐かし過ぎて吐血しそうになる(白目)
ちなみにこの頃のログから察するに、サイトは2005年11月30日から運営していたっぽいですね。
諸々のデータは抹殺済なのであれですが、結構前からやってたのな……。
2007年・2007年1月9日いやなんだ、自分の語彙に「両手を上げてチッチキチー」なんてものが存在してたんだなって(白目)
・2007年1月18日中学高校と、この時期に誕生日があっても受験の所為で諸手を挙げては喜べなかったです。
この当時は併願の私立高校の受験で四苦八苦していました。
安定のぽんぺで死にかけながらも通常通り受験してきたのですが、(ブログのネタになる的な意味で)せっかくだから保健室受験でもしてくれば良かったなと、今では思います。
・2007年2月13日高校の推薦入試の日の記事。
当時からして面接は苦手だったんだなあとしみじみ。
今も緊張しますけど、高校での演劇部の経験とか、大学のゼミでの発表とかを経て、中身はすっかすかだけど説得力だけはありそうな話し方は身についたような気がしないでもありません。
・2007年2月19日爽川氏、無事に推薦入試で合格を決める、の巻。
初めて自分でどこの学校に行きたいのかとか、そういう方向性を決めて、それを相手の要求するラインを満たして認めてもらえたっていうのは、非常に嬉しかったと記憶しています。
面接がずたぼろだっただけに、感動もひとしおでした。
がしかし、このときのセールスの電話。あれだけは絶対に許さない。
・2007年3月9日当時からしたら非常識を通り越して正気を疑うレベルでびっくりしました。
今じゃあ本名を晒すハードルなんて低いったらないですけれど。
まあ私は絶対に本名は晒さないけどな!
・2007年3月29日恐らく、この頃から書き始めていた小説がのちの『しろくろ』となります。
中学の卒業式が終わってからの長い春休みに暇を持て余した結果、書き始めたんでしたっけね。
冒頭のシーンだけ思いついたから書き始めたっていうレベルの見切り発車なので、このときはまだどういうオチにしようかって決めてなかったと思います。
・2007年4月9日爽川さん、高校に入学する、の巻。
中学まではクラス替えしても知らない人はいない2クラス編成で育った人間に対して、いきなり6クラス編成は恐怖以外のなにものでもありませんでした。
学年に知らない人がいっぱいいるっていう感覚が初めてで、それでいてクラスにも知っている人が出身中学が同じ男子1人という心細さである。
この記事で言うところの「話し相手」が、後のなのちゃんである。
最初の頃は、まだお互いにヲタであるとは暴露していなかったので、めちゃくちゃ慎重に距離感を測ってました(笑)
なお、1週間以内に私のほうから歪アリの話を持ち掛けたことによってヲタバレした模様。
・2007年6月13日この一年前の6月13日から2週間の間に7回ほど鼻血による大出血を経験していたのでした。
風呂場でも1回大出血を起こしたのですが、手元にティッシュやらの血を抑えるものがなかった関係で、見た目的には一番の惨劇になったと記憶しています。
・2007年8月26日高校の近くにどでかいかき氷を出すお店があると聞いて、この日はさくらやさんと行ってきた……んだったかな?
来年も挑戦したいと思っていたこのかき氷は、しかし翌年に閉店してしまい、今はもう店舗は壊されて見る影もありません。
一度食べることができただけでも良かったのかもしれませんけれども。
・2007年9月27日のちに語られる「引力」ネタである。
恋愛小説を自分なりに頑張って書いてみたんですけど、これじゃない感が凄まじかったでござる。
データは消し去ってしまっているのでもう記憶にある限りのことしか言えないんですが、端的に言うと「引力で引かれ合う月と地球みたいに、僕らも惹かれあっているのかもね」みたいな話だったような気がします。
・2007年10月27日当ブログにおける検索エンジンに引っかかる率No.1の記事。
検索ワードは「お化け屋敷␣こんにゃく」。
定期的にこれで来る人がいらっしゃいますが、漫画とかだと定番のこんにゃくは、実際にやるとすごく生臭いからおすすめしないよ! マジで!!
・2007年11月17日この手の「自分がいまやるべきこと」と「自分がいまやりたいこと」との間に生じるものっていうのは、まあ昔からあったんですねっていう。
当時だと「勉強」と「創作活動」。
今だと「仕事」と「創作活動」。
天秤の片方はその時々に社会一般から求められているもので変わるけど、もう片方は変わらないのだなあ。
理想は天秤が平行になるか、創作活動に極振りですが、あと6年でどうなることやら。
・2007年12月24日宗教勧誘されました\(^o^)/
それまでの人生で人を疑うってことをほとんどしてこなかった私ではありますが、さすがにこの一件を期に、言動や行動の裏側も見るようになりましたね……。
様子がおかしいなとは思いつつ、途中で切り上げて逃げてこれなかった自分も悪いと思うので、そういう意味での思い切りも必要だと思うのでした。
どうしても他人に対して強気に出るってことができないんだよなあ……。
・小説
この年の大晦日まで頑張って、ちまちまと1ヶ月かけて小説も書いてブログに投稿していたりしていました。
小説ですが、pixivにその加筆修正版を投稿していますので、お時間あれば是非……なんていつもの流れでは言えないくらい自分で読んで頭を抱えましたが、まあそういうものも振り返っていく企画ですので、リンクは貼っておきます。
『Darkness』2008年・2008年1月1日ここでいうところの「別のところで書いてる小説」が、のちの『しろくろ』である。
いやさ、当時から『しろくろ』ってタイトルで掲載してましたけれども。
高校入学前に暇でノートに書き始めた小説を、モバゲに掲載していたんです。
ちなみにこれ、完成にはさらに2年を要しました。
・2008年1月16日誕生日プレゼントとしてiPodのスピーカーを買ってもらっていたのですが、思ってた以上に前に買ったものだったんだなこれ……。
大学時代も大活躍でした。
今は実家に置いてあるのですが、音質とかこだわらずにとりあえず音楽が聴きたいってときには普通に使えるものなので、まだまだ使う気満々です。
・2008年3月20日自他ともに認める西尾信者である爽川さんはもちろん戯言シリーズを何度も何度も読んでましたし、京都への並々ならぬ羨望もありました。
が、当時は高校生という儚い身。
ひょいと京都へ行けるはずもありません。
そんなときに弟が関西方面へ修学旅行へ行くというので、お土産に八つ橋を買ってきてもらったのでした。
初・八つ橋。
戯言の挿絵になってるのは夕子とかだったと思うんですが、このときのは聖護院とかのだった気がします。
パッケージが違う……八つ橋ってそんなにいろいろあるんだ……、とか思った記憶があるので。
・2008年3月23日当時は当時なりにいろいろ考えて、やっぱり今と同じ結論を出して頑張ろうとしていたようです。
つまり、将来確実に働くよりも、小説が書きたい。そういう選択。
タイミング的『三角刀』かな? 記憶にないのでなんとも言えませんが。
結局この企ては不発に終わったと思うんですが、いやはや、忘れているだけで自分は昔から頑張っていたんだと思うと嬉しくなりますな。
・2008年3月31日若いって良いねー! と思った記事。
巨大パフェを、中学の同級生4人で食べたのでした。
場所は安定のジャスコである。
なお、2008年3月は当ブログ10年の運営の中で今もなお一番の投稿数を維持する月である模様。
毎日更新をしていたとしても一月の記事数は30前後だから、41っていう数字はすごい。
まあ、小説をブログに分割で投稿していたからなんですがね……。
・2008年4月18日・2008年5月8日・2008年7月27日4代目ハムスターの奇行というかなんというか。
誰が教えたわけでもないのにこのスタイルを確立し、夏場はもっぱら「お腹の風通しが良い」という理由でここで寛いでおりました。
・2008年5月23日当時高校生のなけなしのお小遣いを使い果たす勢いで購入した、らっきょDVD(限定版)。
これの為に友達とのカラオケをことごとく断らざるを得ず、めっちゃ「付き合い悪い」と言われ続けましたね(白目)
なにを優先させるのかってなった時に、毎日会える友達よりも、一部地域でしか公開されず地方に住む金欠の高校生という身の上では泣く泣く映画館へ行くことを諦めざるを得なかったらっきょを取ったというお話。
この頃は実家のパソもPS2も限界が近付いてきていて、とてもじゃないですが良好な環境とは言えませんでした。
でもって、この頃はまだブラウン管テレビだったのですね……。
・2008年5月26日この記事の冒頭、茶化したテンションですが割合本気で書いてました。
いろんなものに辟易していて、体調不良は本当だったにしろ、学校に行きたくなくなってたんだなと。
ここまでの記事にも欝々とした内容を思わせる記事はちらほらありましたが、全部テンションを上げて押し切ってる感じ。空元気とも言いますか。
全てのネガティブな感情を、無理くりポジティブに置き換えて抹殺しようとしてました。
・2008年6月11日誰に言われたのかは忘却の彼方ですが、たぶん友達辺りに「うるさい」とかなんとか、厳しめに言われたんでしょうね。
高2に入ってから鬱が加速している状態でこれを言われたから、まあ卑屈だこと卑屈だこと。
「早く大学生になりたい」が口癖にもなりますわ。逃げるが勝ちだよ。
しかしまあ8年も前のことだから他人事のように言いますけど、「お前のテンションは悪影響だからテンション上げんなうざい」的なことを言われるくらいなら、空間を共にしようとなんてせずに離れたほうが良いと思うの。
・2008年6月21日爽川氏、恋愛事に巻き込まれる、の巻。
高2の時は別のクラスでお昼を食べていたのですが、そのクラスの男子と地元が同じ女子経由でメアドを聞いてきて、「みつくちゃんと話してみたいって言ってる男子がいるんだけど、良い?」と訊かれて、深く考えずにOK出したら告白されたよ。みたいな話。
まず自分が誰かの恋愛対象に入っているというのが驚きだし、なにより、結局8月くらいまでメールでのやり取りが続いたこの男子、卒業まで一度たりとも顔を見ることがなかったというのが驚きです。
・2008年7月13日サイトの更新をサボってたらいつの間にかサーバーが終了していて、慌てて復活させたりしてました。
まあこの掲載アドレスにアクセスしても、今はエラーが返ってくるだけなのですけれども。
ちなみに、この日からブログのタイトルを、現行の『放課後の呟き』に変えたそうな。
・小説
ブログでちまちま更新してた小説シリーズ。
初期タイトルは『修復不能』でした。
pixivにもその修正版を投稿しておりますので、よろしければ是非(震え)
『Remember』・2008年7月31日 〜
2008年8月1日爽川氏、京都に初上陸する、の巻。
第一志望の大学のオープンキャンパスに参加すべく、ちょっと前から親を説得して叶えた京都行き。
一緒に行くのが父でなければもっと良かったのですが、贅沢は言ってられませんね。
大学生というものへの憧れが非常に強い頃だったので、「自分も合格すればここに、少なくとも4年間は居られるんだ」と思うと、なにもかもが輝いて見えました。
「なにもかもを一旦切り離すことができる」という意味合いで大学生に憧れを抱いていましたが、オープンキャンパスに行ってみると高校生のような勉強とは全く異なるものを学べるというのもまた魅力的でした。
以降は漠然と「大学生になりたい」と言うよりも「京都に行きたい」と明確に逃走の言葉を口にするようになりました。
・2008年9月3日今までだって貧血でブラックアウトして立っているのがやっとの状態だったのに誰にも気づかれずに挙句「なにしてんだ来るのが遅ぇよ」と怒られたことのある私でありますが、これは稀に見るレベルでの体調不良。
吐いた時よりも酷いかもわからん。
体調の悪い気配を察していたのなら体育は見学すれば良かったんでしょうけど、見学するにも書類を出さなきゃいけないシステムでしたからね……。
しんどいのに書類を書いてるくらいなら体育に出る体でサボろうと思ったのですが……うん。
2008年10月9日 〜 2008年10月12日
爽川氏、修学旅行で沖縄へ初上陸する、の巻。
1日目 2日目 3日目3泊4日だったんですが、最終日は飛行機で酔って更新どころではなかった模様。
人生初の飛行機にはしゃいだり、平和学習ということで生々しい経験談を聞かせていただいたり、観光してきたり。
宗教関連で因縁のある子と同室になってしまってどうしようと相談されたりもしました。
余談ですが、当時はついったのようなSNSがない時代。
今でこそ日常的になった「ブログ用の写真を撮る」という行為も、当時からしたらなかなかにハードルの高い行為でした。
「え、それ撮ってどうするの?」っていう視線がね……。
・2008年11月8日演劇部でまさかの県大会行きを決めた、その県大会中の記事。
地区大会よりも広い舞台でとなるとまた勝手が違って戸惑いもありましたが、まあやるべきことはやれたさ。
先へは進めませんでしたが、良い経験となりました。
・2008年12月26日まあ理不尽っちゃ理不尽だよな。
当時は思考停止することで「自分が悪かったんだ」と思い込んで収めたようですけれども。
・2008年12月28日3年間ほど運営してきた自サイトを閉鎖した日。
黒歴史の封印とも言う。
・2008年のまとめ
この年から年末の振り返り企画を始めていたようです。
上半期前半 上半期後半 京都総集編 下半期後半 下半期後半2009年・小説
当時ブログに書いたものを、のちにpixivに投稿していたので、よろしければ。
『コンタクトレンズ』・2009年2月16日私、美容師になります!
・2009年2月28日当たるわけないと思っていたRADのライブチケットが当たりました。
このときから私は、ケータイやスマホの画面で確認した抽選結果は信じられないようです。
・小説
当時ブログに書いてたものをpixivに投稿していたシリーズ。よろしければどうぞー。
『尾花色の記憶』・2009年3月20日演劇の小道具の為とはいえ、高校生にもなって学校にくまさん持って行ってたんだなって。
袋に詰めて運びましたが、このクマ、なかなかに大きいのでなんだかいけないことをしているような気分にさせられました。
・2009年3月26日爽川さん、大富豪を覚える。
このころまで敢えて避けてきていたので、演劇部で初めてルールをしっかり覚えたんですよ。
以降、大富豪についてはしっかりルールを覚えられましたが、銀行のほうはもうすっかり忘れてしまったなあ……。
・2009年4月12日寝坊による遅刻により、部員数分ダッツ購入の刑に処されました。
そういうルールがこれの少し前に決まったからね。仕方ないね。
これ以降しばらくは、朝異様に目覚めが良かったというか、飛び起きる感じで二度寝はしませんでしたね(白目)
まあこれ、高校から徒歩ないし自転車で通う人たちにとってはとてもリスクの低いルールで、田舎であるが故に電車1本が命取りの電車組には非常に恐ろしいものとなったのでした。
・2009年4月18日初ライブ参戦! 初めて生でみるRAD!
さくらやさんと参戦してきました。
まず会場である新潟ロッツの場所がわからないから確認するところから始まり、荷物を預けることにひと悶着あってお互いにテンパってしまい、果てはさくらやさんが新潟駅まで走るということがあったりしました。
しかし小さめの会場ということもあって至近距離で楽しめたので、大満足でした。
ちなみに、
翌々日は筋肉痛の身体を引きずって学校行事の遠足で山に登ってきたよ!・2009年4月26日PS2を購入してました。
もともと父が買っていたPS2もあったのですが、あれは最初期型の分厚いもので、DVDも観られないものでしたからね……(ごり押しで再生させていたけれども)。
以降、定期的にお世話になっているんですが、今現在は弟に持っていかれている上、返ってくる見込みがない件について。
・2009年5月15日人生最後のシャトルランでした。
たぶん今またシャトルランをやっても、こんなに記録は伸びないですね(真顔)
20回もいけるかどうかだろうか……。
・2009年6月16日高校最後の体育祭でした。
うちの高校はクラス対抗なので、クラスごとに衣装やパネルを作製します。
んで、この年の我がクラスはアイドルがテーマだったのですよ。あけびですね。
女子の大半はアイドル役、男子の大半はドルオタ役だったんですが、数人ずつ女子のオタクと男子のアイドルもいらっしゃいました。
私が大興奮していたのは言わずもがな、男子でアイドル役をしていた人らですね。
ええもん見れましたわ。
・2009年6月30日4代目ハムスターの日常(夏編)
しかしあれ、どういう体勢で寝てるんだろう……?
・2009年7月2日ベストオブやたかしたで賞。
普段の寝起きの風景ってぼやけまくりなので、このときの違和感ったらなくて、まだ夢の中にでもいるんじゃないかっていうくらい現実味がありませんでした。
・2009年7月10日人生初にして、今のところこれっきりの金縛り。
・2009年7月25日スヤァ…
・2009年8月6日真面目に受験勉強に勤しんでいると見せかけて、案の定、小説のネタ出しをしてました\(^o^)/
魚の百科事典はあれだね、『三角刀一夜』のためのネタ出しだね。
・小説
ブログに掲載していたものを、のちにpixivに投稿してましたシリーズ。よろしければ是非。
『晴れのち曇り、翌日は雨』・2009年8月17日当時はまだ、他人と会わないことに対してのストレスを感じていた模様。
大学卒業前後くらいに誰かからか「誰にも会わないってしんどくならない?」的なことを訊かれ、即答で「ずっと一人でも平気」と答える今からしたらびっくりするような考えを持っていたようです。
まだ周囲に期待してたし、期待されてたからってことなんでしょうかね。
・2009年8月19日初代ケータイについて。

これですね。
ケータイをデコるとか、メインメニューの着せ替えとか、デコメとか、懐かしい単語が飛び交っております。
なお、この着せ替えカバーはだんだんと外れやすくなり、最終的には接着剤で固定しておりました。
・2009年8月20日よく訓練されたブロガー。
・2009年9月10日学校のPC室に自分のUSBを持ち込んで作業をしていたら、友達の手だか背中だかが当たってUSBが曲がったというこの事件。
当時の私の経済状況から考えればこのUSBを買うのだってなかなかに奮発してのものでしたし、なにより、そこにこれまでに書いた小説のデータが入っていたので、これでUSBが再起不能レベルで折れてたら、この友達のことは数年レベルで許せなかったかもしれない。
まあ件のUSB、へん曲がりこそしたものの、今も現役で使えるからこうして笑っていられますけれども。
とはいえ、この事件で本当に肝を冷やされたので、以降は学校にUSBを持ち込んでの作業しなくなりました。
・2009年9月24日この頃はまだ、よほどのイレギュラーがなければ普通に就職していると、漠然とした確信があったという恐怖。
どの口が、自分は全うに社会に適合できるって言ってるの……?
・2009年10月5日腐り始めのあの頃。
私にとっての入り口は、rkrnでした。
・2009年10月17日演劇の県大会を共に戦った大道具たちを破壊しました。
今後使う予定も見当たらない上に、サイズがサイズですからね。
必死になって作ったものなので、愛情をこめて徹底的に破壊しました。
・2009年10月31日高校生活最後の文化祭!
自分のクラスの出し物はなかったので、部活のほうに全力を出せて非常に楽しかったです。
ちなみに1年生の時も2年生の時も、クラスの出し物はお化け屋敷でした(白目)
・2009年11月17日 〜
2009年11月18日爽川氏、お受験の為に大都会・東京へ向かう、の巻。
当時のケータイじゃあマップ機能はそうそう使えるものではなかったので、コンビニを探すだけでも大冒険でした。
勉強一辺倒(その割に漫研とか文芸の原稿もしてたけど)だったので、東京に着いてからのことはなにも考えていなかったのです。
伯父から道案内してもらったルートを覚えるだけでもあっぷあっぷしていたのに、コンビニを探し出して夕飯を買わなければいけない……だと……? と絶望しかけたような記憶はありましたが、同時に、「東京なんだからちょっと歩けばすぐコンビニくらいあるだろ」と楽観していたのも確か。
まあその楽観が極端すぎて、思った以上に移動してもコンビニを発見できなくておろおろしたわけですけれども。
いやはや、田舎者にはハードな2日間でござった。
そして、
翌週には合否発表。半端な時期に第一志望校への合格を決めたので、大声で「合格した!」って言うわけにもいかずに報告を最小限に控えていたら、多方面から「報告しろよそれは! 落ちたのかと思って話しかけづらかっただろ!!」とめっちゃ怒られました。
京都行きが確定したのに発表日のテンションが異様に低いのは、これから受験を控えている友達も当ブログに来ているかもしれないと思っての配慮だったんでしょうね。
・2009年12月13日センター試験プレテスト(本番当日と同じタイムスケジュールで行われる模試)の翌日に行われた、京都への強行軍。
目的は、4月からの私の住む物件探し。
しかし新潟から京都までは遠いんだし、ここは諦めて紙面だけで決めてしまおうぜ……という母と私の意見を父が頑なに拒否し、こうなりました。
観光らしい観光なんてしている余裕もなく新潟に帰ってきたので、疲労感は尋常ではなかったです。
・2009年まとめ
1月から3月 4月から6月 7月から9月 10月から12月2010年・2010年1月16日
センター入試でした。
そうは言っても、私は11月末に第一志望校に合格していたので、あまり気負いはしていなかったようですね。
理数科目はどうあっても不要だったので2日目は行ってないですし。
・2010年1月18日
普段されないことをされまくると動揺しまくるという良い例。
・2010年2月21日012さんに勧められて『夜市』を読む。
まさかこれが約3年後、卒論へと繋がっていくとは思わなんだ……!
・2010年2月24日新生活に向けて、いろいろと準備をしていました。
その際に眼鏡を新調していたのですが、この時に買った眼鏡はいまだ現役で活躍しているので、もうなんだかんだで6年ちょいの付き合いになるのか……。
そりゃあ度が合わなくて当然さね。
・2010年3月10日いろいろと言い包めて買ってもらったiPod。
今も現役で活躍中です。
が、いい加減最新のモデルとは端子からして違ってきているし、容量もカツカツになってきているので、仕えてもあと数年くらいでしょうか……。
・2010年3月17日卒業式前日に、卒業アルバムをゲット。
修学旅行時に同行していた写真屋さんから頼まれてなのちゃんと小芝居してた写真やら、自分のクラスよりも他クラスのスナップ写真にやたらに映り込んでいるとか、世界史の授業で先生の小話をめちゃくちゃ真剣に聞いていたところ(当時はA/P/H/フィーバーだった)をアップで載せられていたとか、3年間の様々な思い出が詰め込まれたアルバムでした。
・2010年3月19日なのちゃんの家にて、原稿のお手伝いをしてました。
作業をしつつ、猫に癒されつつ。
・2010年3月26日ギリッギリまで引っ越しの準備に追われていましたが、どうにかこの日の夜に京都へ向けて発ったのでした。
実家には父というストレス源がいるので、実家を脱出できるというあの解放感はかつてないほどのものだったと記憶しています。
念願の、実家脱出。
そして京都へ。・2010年4月1日爽川氏、大学生になる、の巻。
この日が入学式でした。
そのちょっと前に偶然出会った茅原さんがヲタ要素があると思い込んで絡みに行き、入学式では西尾ファンである斜ちゃんと出会うことになります。
高校まで、がっつり西尾ファンだっていう友達がいなかったので、テンションの上がりようったらなかった。
・2010年4月8日新入生キャンプということで、滋賀は彦根に行ってきた。
この記事で言うところの「rkrn仲間」が、のちのかみやま氏である。……っていう件を前にもしてる気がするけど気にしない。
でもって入学して1週間で、
またぞろ恋愛関連に巻き込まれてやんの。まあ、この件については自然消滅してくれたので良かったです。
・2010年4月24日京都に引っ越してきてから約1か月後に、ようやくネット開通。
当時はまだ実家から出てきたばかりだったから耐えられたんでしょうけど、今またそれができるかて言うと、これもうわかんねぇぞ……。
・2010年5月3日友達と新京極に行ってお買い物。
大学生活終盤は、新京極は一人で買い物をする場所、みたいな感じになってたから、なんだか初々しい感じがします。
忍者クレープにテンションが上がっていたあの頃が懐かしい。
・2010年6月2日Twitter始めました。
なんだかんだで以降6年間ほぼ毎日呟いているけど、ブログに影響が出るほどではなかったですね。
・2010年6月5日失敗した一番の原因は、引っ越してきて2ヶ月も経つのに、ろくにガスコンロの使い方を覚えていなかったからですね\(^o^)/
記事内でも「常に強火のガスコンロ」とか言ってますけど、これ、後日きちんと火力調整できることが発覚しましたし……。
・2010年6月30日初の水無月は、抹茶味でした。
最近は新潟の情報誌を読んでいるんですが、どうやら新潟でもいくつかの店舗で水無月を取り扱っているらしいです。
ないわけではないという程度であって、京都ほど気軽には買えないみたいですけれどね。
・2010年7月15日祇園祭の宵山に参戦。
今はもうダッツのお店、なくなっちゃってるんだよなあ……。
・2010年7月27日Gとの闘い。
しかし結局、4年間の一人暮らしでGが出たのはこの1回のみでした。
まあ3階に出たってだけでも驚きだったので、よほど根性のある奴だったのでしょう……。
・2010年8月9日眼鏡がないと明日が見えないレベルで視力であるからこそ、度のない伊達眼鏡は素晴らしいと思うの。
これはどうにも、目の良い人や眼鏡かけてるけどそこそこ視力のある人には共感を得られない話のようですが……。
・2010年11月15日「10年後の自分を想像してみましょう」。
6年前の私は、なんの疑問もなく「普通に就職して生活している」と考えていたのだなあと。
「お先真っ暗ながらに、たったひとつ現実になるかどうかすらわからないか細い光を信じて歩いている」のが実情です。
不良品に「普通」は無理なんだって。
・2010年11月25日ドイツ語の話。
もう時間が経ち過ぎて、自分で言ってることなのに欠片ほどしか分からないぞ……(;^ω^)
・2010年12月15日地元に図書館らしい図書館はなく、それまでまともに「図書館」というものを利用していなかった私にとって、大学の図書館の動く書架っていうのは、とんでもなく画期的なものでした。
あれ、とても便利ですよね……!
まあ大学図書館の書庫なんて、カップルがいちゃつく格好の場になってしまっているので、その後もあまり近づきませんでしたけれど。
・2010年12月26日豆腐腐らせ事件。
貧乏性がたたって「食べなきゃ」と奮起しましたが、食べられないものは食べられないと、捨てる勇気も大切です。
なにせ、このときの食べたらあかんレベルになっていた豆腐の味と感触が、いまだに忘れられませんからね……。
・2010年まとめ
1月から3月 4月から6月 7月から9月 10月から12月2011年・2011年1月8日爽川氏、初のものもらいを経験する、の巻。
年明け早々に、人生初のものもらいを経験しました。
……が。
これ以降、もう何回かものもらいを発症します。
結局これは、免疫力が落ちていたからなのかなんなのか……。
・2011年1月12日プロの小説家のかたが大学へ講演に来てくださったので、その講演を聞いてのあれこれそれ。
創作活動についての考え方は本当に人それぞれで、参考になります。
・2011年1月18日爽川さん、19歳の誕生日を迎える。
当時は酒はあんまり飲まないだろうし、煙草は絶対にやらないなどとほざいていたようです。
なお現在、週末のビールの為に生きていますし、不定期に煙草も吸っております\(^o^)/
価値観なんて、感覚なんて、時の流れによってまざまざと変わっていくのがよくわかりますね(白目)
・2011年1月22日4年間の一人暮らしで、一番やらかしたことと言って間違いないでしょう。
・2011年1月28日>先生による「将来はきちんと考えなきゃ駄目だよ。今の自分と未来の自分の考えは違うかもしれないんだからね」的な話
せ、せやなー(震え)
・2011年2月17日応募して、当たった。
なかなかの競争倍率を掻い潜っての当選なので私は自分の運の強さを誇っても良いと思うんですが、どうにも電子画面での当選通知には実感が沸かない。
・2011年2月23日ケータイを機種変しました。

2代目は、これのパープルですね。
さんざ青だのなんだの言われましたが、パープル。紫色だったのです。
・小説
春休み中、昼夜逆転させつつ書いたもの→
『深海世界』こっちは昔に書いたものの修正版です→
『Don't call my name』テストからの解放感で勢いそのまま書いたもの→
『円に焦がれた歪のなれの果て』よろしければどうぞー。
・2011年6月8日ふと将来について考えてみた。
結局、大学で取得したのは司書資格のみとなりました(学芸員は、実習という壁を乗り越えられる気がしなくて諦めた)。
しかしながら当時はまさか、臨時とはいえ司書として働くことがあるなど想像だにしませんでしたね。
活かしてるじゃないですか、司書資格……!
そういう意味では、なにごともやってみなければわからないものだと実感します。
・2011年6月17日開放されている場っていうのは、こういうのに対処が困りますぬ。
……っていうのを、どう対処すれば良いのかを社会人の立場から考えだした辺り、今現在の私もだいぶ毒されてるなって思いました。
・2011年7月5日
RADWIMPSのライブに参戦してきました。
前半戦 後半戦いま思い出しても、夢みたいな話。
もう5年くらい前の話になってしまったのかと思うと切なくなる。
またチケットもぎ取ってライブ行きたい!
・2011年10月6日ブログ5周年+12日。
当時をして5周年ってだけでも驚いていたというのに、まさか本当に10周年を迎えることになるとは思わなんだ。
・小説
『橙に染まる教室で』よろしければ是非に。
いまさらながらに補足いたしますと、これ、『しろくろ』と同じ世界線です。
というか、舞台設定も『しろくろ』同様の私立皆明高校です。
「鬼ごっこ」の鬼は月陰さんで、この「鬼ごっこ」についてもいつか書けたらなあとは思ってます。
・2011年10月24日シリコンスチーマーには、本当に助けられました。
これのおかげで野菜を食べる機会が増えましたからねえ。
・小説
この頃はストレスも相当あって、故に小説を書くスピードも速かったようですね(白目)
『Lügnerin』『ハリネズミ』お時間あればどうぞ。
・2011年11月29日P.4.始めました。
入り口は言わずもがなアニメです。
私にとってはまだまだPS2は現役だと思っていたので、そもそもソフトの売り場すらないというのは、当時なかなかに衝撃でした。
結局ポチって入手しましたが、いやはや、長いことゲームから離れていたものだから勝手がわからなすぎて笑います。
・2011年12月1日バイト代未払い問題については、のちに無事解決はしましたが、しかしいまだに根にもってますからね。
これの所為で普段でさえ枯渇している生活費がガチで枯渇して、実家を頼らざるを得なかったんですから……!
いつもタイムシートを記入して、それをバイト先の偉い人がまとめて管理会社に提出していたのですが、私のタイムシートがファイルからすり抜け机の裏側に行ってしまい、偉い人がそれに気付かないまま提出したから未払いになったのでした。絶許……!
ゲームの話については、4月って言ってるし、千枝ちゃんのところだろうか。
しかしこの、ことRPGについてはほぼほぼSO3の知識がない故のあれこれな(笑)
SO3はパーティー全滅さえしなければ主人公が死んだって(というか戦闘パーティーに入っていなくたって)大丈夫っていうシステムでしたからね。
まあペルソナは主人公の運命のあれこれそれっていう物語だから、主人公が死んだら運命が閉ざされてゲームオーバーっていうのはわかる。わかるけれども。
・小説
『携帯電話』短編の短編くらいの小話です。よろしければどうぞ。
・2011年のまとめ
1月から3月 4月から6月 7月から9月 10月から12月振り返るに、2011年は大学2回生になってからレポートに追われまくっていたのだなあと思いました。
あと話題の引き出しが2次元関連しかなくて友達だと思っていた人から嫌厭されたりとかしたり、そもそも友達と会う機会が減ってきたからそれなら一人を楽しもうと躍起になってたりで、まあ欝々とした一年だったようです。
そしてとどめにバイト代未払い事件ですからね。そりゃあいじけたくもなる。
……と、ブログ開設から2011年までの5年間を振り返って参りました。
が、思っていた以上に記事が長くなってきたので、ここで一旦切ります。
続きは(たぶん)明日!