「富士見L文庫×カクヨム 美味しい話&恋の話」短編小説コンテストにて、
『レシピのないカレーライス』が受賞作品として選ばれました!
『飯テロ 真夜中に読めない20人の美味しい物語』に収録されています。
特集ページは こちら

2012年04月16日

夜はまだ寒い

本当の本当に、今日はバイトに行ってきました。
1ヶ月ちょっとぶりなので、バイト先の皆さんから「久しぶり」と声をかけられました。
今まで一度もそんな事言われた事ないから、正直びっくりしてるんだぜ…。
この驚きには、果たして喜び含まれているのだろうか。
まぁ何だかんだであんまり好かない場所なんですけれどね。
元よりコミュ力ないのだから、どうしたってつらいものがあるのは仕方がないのです。そう、仕方がない。
これはもう割り切るしかないんだろうとは思います。
それを少しでも改善出来ればなーと思って、今期はそういうコミュ力というか会話力を上げる目的の授業も取ってみた事ですし。

いつまで経っても人と話すという事に慣れないんですが、これって慣れる日がくるのだろうかとふと考える事があります。
今この場で「人と話す」っていうのは家族とか親戚以外をさすとします。
だって家族とかにはそんなに気兼ねとかなく話すものね。
「人と話す」っていうのはその行為自体に多くの情報が行き交って更新されていって、どうしたって疲れるものです。少なくとも私は。
それを「楽しい」と思う日もあれば「こんな会話早く切り上げたい」と思う日もあって。
話す相手とその話の内容によって感じ方は全然違ってきます。
だからほとんど絶対的に同じ会話はないわけでして。
それに対し、果たして「慣れる」という事はあり得るのでしょうかねって、まぁそんな話です。

お酒にしたってそうだけれど、身体の中で分解できるアルコール量ってのは元より決まっていて、それ以上のアルコールを摂取すれば悪酔いします。
だからお酒に慣れるっていうのは「自分の中での限界を知る事でペース配分ができるようになる」ということで、どうしたってアルコール摂取量のキャパは広がらないらしいじゃないですか。
こういうのを踏まえて考えるに、会話にも或る程度は「慣れ」というものは存在しているのだとは思います。
けれどもそれは「慣れる」のではなくて、同じように「知る」事なんじゃないでしょうかね。
つまり「自分の声質や滑舌、自分の持つ会話の引き出し、相手への配慮」みたいなものを知るって事です。
お酒と違うのは、自分の限界をいくらかは引きのばせるという点でしょうか。
声質や滑舌には限界があったとしても、会話の引き出しを増やす事とかはできるように思います。
ぶっつけ本番ばかりの中で、知り考え学ばなければならないんですよねつまり。

……何が言いたいかって、つまりコミュ力が基本的になくて会話力を上げる授業を取ったとしても学校には木曜と金曜しか行かないから基本的に引きこもってばかりになるから、結局人と話す機会が激減してて詰んでるって事ですよ!←
今年のGWは夢の12連休が成立するんじゃねぇのきゃほーいとテンション上がりはしたものの、同時に今年のGW明けの悲劇に今からgkbrです(※ちなみに去年は咳が悪化して発熱という見事な風邪をひきました)。
posted by 爽川みつく at 23:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする